枕草子を再読し、人生を振り返る!?
枕と草子
「枕」には、引用説、しゃれ説、普通名詞説
、日記帳説、歌枕説ほか多くの説が存在し、
定まるところがない。草子は本来、「冊子」
で、綴じた本のことである。「草子」「草紙
」と書かれるのは、当て字。「まくらのそう
し」と「の」を入れて呼ぶが、古くは「まく
らそうし」と「の」を入れない。へぇ〜!
成立と内容
枕草子の成立は平安時代中期、一条天皇の長
保三年(1001年)上半期で、長保二年一
二月一六日の定子皇后崩御以後の記事と思わ
れるものが殆どない。枕草子の精神は、「を
かし」の理念をもって代表させることができ
、「いと」という程度の副詞が、700以上
用いられ、若さのほどが知られる。
生まれ
清少納言は、清原元輔(きよはらのもとすけ
)の娘で、学問と歌との家に生まれた。清少
納言の結婚については、夫の名が複数人上が
っており、子供も二、三人いたらしい。中宮
定子の女房となり、身分も学問も、当時第一
流の人々と交わり才能を磨き、その本領を十
分に発揮した。
皇后定子
清少納言が正歴四年(993)初春、宮仕え
に上がった時、30才近かったと言われる。
このことから換算すると、父の元輔が56才
の頃の子であったと考えられる。一方、定子
(ていし)中宮は18才、第66代一条天皇
は14才であった。清少納言は、中宮より十
才〜十二才年長であったらしい。