御三家でも石垣のない水戸城・・・!?
新発田城
別名「あやめ城」と呼ばれる平城で、天守閣
の代わりを果たしたのが三階櫓。平成16年
に復元され、屋根が丁字型をしており、全国
で唯一、三匹の鯱を配する。石垣はすき間な
くかみ合うように積まれた「切込みはぎ」、
石質は市内古寺産の(粗粒)玄武岩、総延長
350m、石の数は1万1千個といわれる。
(2018 新発田城 撮影:じっさま)
松代城
武田信玄が北信濃を支配するために築城し、
当初海津(かいづ)城と呼ばれ、川中島の戦
いの舞台となった。本丸大手の太鼓門や北不
明門などが復元されている。「野面積み」で
つまれた、本丸戌亥隅櫓台の石垣が城内に現
存する石垣で最も古い。石垣の石質は松城町
産出の(輝石)安山岩とある。
(2017 松代城 撮影:じっさま)
上田城
上田昌幸が千曲川の分流の尼ヶ淵の河岸段丘
上に築いた城で、平成6年に櫓門が再建され
ている。本丸東虎口の右手に「真田石(長径
3m)」と呼ばれる城内最大の石がある。石
材の大部分は、市街地北方の太郎山産の緑が
かった色が特徴のグリーンタフと呼ばれる「
(緑色)凝灰岩」が使用されている。
(2012 上田城 撮影:じっさま)
水戸城
那珂(なか)川と千波湖にはさまれた台地の
先端に典型的な連郭式の縄張りで築かれた城
で、徳川御三家の居城として東北諸藩ににら
みをきかせる存在。石垣を一切用いず、本丸
、二の丸、三の丸など各曲輪が空堀などで仕
切られた土造の城であった。左画像は、水戸
藩の藩校(江戸時代の総合大学)弘道館。
(2016 弘道館 撮影:じっさま)