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まめ知識KNOWLEDGE

日本のお城・・・豆知識!?

激減のお城・・・!?

江戸時代以降にお城が激減するできごとが3
つありました。最初は、徳川家康が発案し、
徳川幕府によって元和元年(1615)に公
布された、一国一城令です。これで数千あっ
た城が175程度に減少。次に明治4年(1
871)に発布された廃城令で、天守は60
棟ほどに、1940年には20棟に、太平洋
戦争を経て、12棟となりました。
(大分中津城: 撮影 じっさま)








現存12天守・・・!?

現在残っている12棟の天守を「現存12天
守」と呼んでいる。北から弘前城(青森県弘
前市)、松本城(長野県松本市)、丸岡城(
福井県坂井市)、犬山城(愛知県犬山市)、
彦根城(滋賀県彦根市)、姫路城(兵庫県姫
路市)、松江城(島根県松江市)、備中松山
城(岡山県高梁市)、四国の丸亀城、高知城
、宇和島城、松山城の12天守。
(信州上田城: 撮影 じっさま)







復元天守・・・!?

焼失や破却された天守を、史料などに基づい
て忠実に再建した天守を「復元天守」と呼び
、名古屋城、小田原城、熊本城などがこれに
あたる。「復興天守」とは、天守の存在は確
実ながら、史料不足などにより、当時の姿が
不明なために忠実な再現ができず、本来の場
所に推定で再建した天守。「模擬天守」は、
観光目的で建てられたモニュメントが多い。
(伊賀上野城: 撮影 じっさま)








天守の型・・・!?

天守は構造上の違いから2種類に分かれる。
遠くを見渡すための櫓のことを望楼といい、
入母屋造り(上部が切妻造りで下部が寄棟造
りの屋根)の建物の上に、望楼を載せた形式
を「望楼型天守」という。一方、望楼を載せ
ず、四方にふきおろすだけの屋根を積み重ね
た構造を「層塔型天守」とよび、松山城、丸
亀城、宇和島城、弘前城がこれにあたる。
(和歌山城: 撮影 じっさま)









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