縄文時代の稲作とは?
雲南省
従来、雲南は稲作発祥の地といわれ、遺跡に
残る炭化米などから、米の栽培は約4000年
前と判明。一方、日本の稲作の始まりは、縄
文早期〜前期初頭(約6000年前)に稲作が
開始されていたことが、遺跡に残る稲のプラ
ントオパールから判明した。では、稲作はど
こから来たのだろうか?
湖南省
1万2千年前の長江の中流域(湖南省)の遺跡
から栽培種の稲籾が出土。5000年後、沿
岸地域(浙江省 河姆渡(カボト)遺跡)ま
で稲作が広まる。この遺跡の炭化米のDNAか
ら熱帯ジャポニカであることが判明。縄文時
代の遺跡の炭化米もDNA鑑定から熱帯ジャポ
ニカであることがわかった。
浙江省
河姆渡(浙江省)から日本列島まで800k
m、漁労民でもあった人々が渡来して稲作を
伝える。現在、日本の対馬で栽培される赤い
古代米も熱帯ジャポニカの系統。ラオス山間
部で焼き畑で熱帯ジャポニカを栽培している
が、縄文時代の稲作も同様の焼き畑と考えら
れる。当時、気温は3〜4℃高かった。
日本の稲作
6000年前、中国(江蘇省)で水田栽培が
始まり、稲の品種も熱帯ジャポニカから温帯
ジャポニカへ変化し、3000年前には朝鮮
半島まで広がる。朝鮮半島の人々と縄文人と
は交流があり、水田技術も持ち帰る。260
0年前の縄文晩期、唐津「菜畑遺跡」には、
日本最古の水田跡がある。