山内一豊、国宝、藤堂高虎、森蘭丸の弟・・・!?
掛川城
天正18(1590)年に山内一豊が入り、
近世城郭へと工事を始めた。一豊が転封され
た高知城を参考に、平成6年に木道で三重四
階の望楼型天守が再建された。石垣の一部に
は、名古屋城の石垣のなかで最も多く使われ
ている、愛知県西尾市の「幡豆石」と呼ばれ
る花崗閃緑岩が見られる。
(2019 掛川城 撮影:じっさま)
彦根城
佐和山城や大津城などから用材や石材を調達
して建てられた三重三階の城は、明治維新の
廃城令や戦災も免れ、国宝に指定されている
。石垣の岩質は、7000万年前に火山噴火
にともなう溶岩が固結した「流紋岩」で、び
わ湖の東岸に偏在しており「湖東流紋岩」と
呼ばれる。滋賀県の「県の石」でもある。
(2020 彦根城 撮影:じっさま)
篠山城
関ヶ原の戦いの後に徳川氏が豊臣氏包囲の目
的で、藤堂高虎に築かせた城。15ヶ国20
の大名に労働課役を命じ、総勢8万人で半年
ほどで完成した。石垣は近江穴太衆が積む野
面積みで、大手門周辺の石垣には様々な刻印
が見つけられる。藤堂高虎の城の特徴である
直線的な石垣や犬走りが見どころか。
(2020 篠山城 撮影:じっさま)
津山城
関ヶ原の戦いの戦功により入った森忠政(森
蘭丸の弟)が、元和2(1616)年に完成
させた。石垣が「一二三(ひふみ)段」と呼
ばれる総石垣で、ひな壇のように3段もしく
は4段に重ねた曲輪をきづいた平山城である
。石垣は凝灰岩の他に、部分的に花崗岩が使
用されている。
(2021 津山城 撮影:じっさま)