御城の宝庫、四国の名城が登場・・・!?
丸亀城
城郭の石垣を築く技術が最高水準に達した江
戸時代初期につくられ石垣で、大手門の「切
り込み接ぎ」、城郭周りには丸亀城の主な石
垣の積み方である「打ち込み接ぎ」、高石垣
には「算木積み」、南東山麓には「野面積み
」も見られます。城内には、火災で赤く焼け
た跡の残る花崗岩の石垣が残っている。
(2012 丸亀城 撮影:じっさま)
高松城
付近の海が玉藻の浦と呼ばれていたことから
別名「玉藻城」と呼ばれる日本三大水城の一
つ。船の到着を監視するための月見櫓(着見
櫓とも呼ばれる)が現存しており、風情のあ
る内部が見学できた。江戸時代には、藩主は
水手御門から小舟で出て、沖の御座船に乗り
換え参勤交代へ出かけたとか。
(2019 高松城 撮影:じっさま)
高知城
天守がそのまま残っている現存12天守の一
つであるが、城主が暮らした「本丸御殿」な
どもそのまま残っているのがすばらしい。高
知城の石材のほとんどがチャートで、三の丸
では、加工された砂岩もみられる。日本でも
雨量の多い土地柄で、石垣には排水設備とし
て多数の石樋が設けられている。
(2012 高知城 撮影:じっさま)
宇和島城
元禄時代まで宇和島城の西側は海であり、城
の石垣に使用する岩石は海底から引き揚げら
れた岩石(砂岩)を用いているとの史実があ
る。三の丸には花崗岩らしきものもみられる
。築城名人と言われた藤堂高虎が6年をつい
やして築いた城で、千鳥破風や唐破風などで
飾られた、現存12天守の一つ。
(2017 宇和島城 撮影:じっさま)