お城の石垣シリーズも最終回・・・九州です!?
名護屋城
豊臣秀吉が大陸出兵の足がかりとして朝鮮半
島に近い東松浦半島に築いたのが名護屋城で
ある。城域は17万m2に及び、金箔瓦を使
用した天守閣も建てられた。秀吉の病死後、
廃城となり、城の用材は唐津城の築城に転用
された。石垣は、城跡周辺で採石される玄武
岩で穴太積み、布目崩し、算木積みなど。
(2017.09 名護屋城 撮影:じっさま)
唐津城
豊臣秀吉の家臣、寺沢志摩守広高が、九州諸
大名の加勢を受け、名護屋城の解体資材も活
用して、慶長13年に完成した。天山石(て
んざんいし)と言われる良質な花崗岩が、唐
津市近郊で採石され、城の石垣にも使われて
いる。玉島川や松浦川をつたい、その下流に
ある唐津城まで運び、石垣や石段を作った。
(2017.09 唐津城 撮影:じっさま)
島原城
築城の課役、キリシタンの弾圧、過酷な年貢
などが要因となり起きた天草・島原の一揆で
知られる島原城。昭和39(1964)年に
再建された5重5階の天守は、最上階を除い
て破風がない。石垣には雲仙火山が産出した
島原石とよばれるデイサイト(火成岩で深成
岩の花崗閃緑岩に対応)が用いられている。
( 島原城 )
飫肥城
飫肥城・・・読み方も所在地もなかなかわか
りませんね。「おびじょう」宮崎県日南市に
あります。天正16(1588)年から明治
初期までの280年間飫肥藩・伊東氏5万1
千石の城下町として栄える。石垣には、姶良
火山大噴火による火砕流が堆積、圧縮され固
まった溶結凝灰岩が使われている。
(2012.03 飫肥城 撮影:じっさま)