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隠岐2   HOBBY

  後鳥羽上皇・後醍醐天皇・・・ゆかりの地!?

綱掛けの松

後鳥羽天皇の文化が息づく町、島前の海士町
(あまちょう)にやって来ました。朽ち果て
た松の切り株に新しく松が植えられています
。「綱掛けの松」と呼ばれる松で、明治初期
まで一帯が海岸で、当時は松の巨木が随所に
あり、当時には上皇の御船が係留されていた
松と想像されるとの案内板がありました。
(2023.05 係留の松 撮影:じっさま)







火葬塚

承久の乱により隠岐へ配流になった後鳥羽天
皇は、19年後の延応元年(1240)に6
0才で崩御された。遺骨の大部分はこの火葬
塚に納められたが、明治6年、明治天皇の思
し召しにより、大阪の水無瀬神宮に合祀され
た。祠殿は取り壊された後、宮内庁が第82
代後鳥羽天皇御火葬塚として管理している。
(2023.05 火葬塚 撮影:じっさま)







隠岐神社

昭和14(1939)年、後鳥羽天皇の崩御
700年に、御神徳をひろめるために創建さ
れた。神殿は隠岐造りといわれる様式で、銅
板葺きの本殿、祝詞舎、拝殿、などがつらな
る。後鳥羽上皇は、けまり、囲碁、流鏑馬な
どの技芸にすぐれ、武芸にも関心が高かった
とされるが、和歌への傾倒は抜きでる。 
(2023.05 隠岐神社 撮影:じっさま)







後鳥羽院資料館

後鳥羽天皇に関する資料や隠岐神社に奉納
された刀剣などの宝物品が展示されていま
す。肖像画(複製)はふくよかな感じの人
物に描かれています。御手印御置文(複製
)には、左右の手形が押されており、時代
を超越した何かを感じる??来國光と呼ば
れる刀の展示もある。
(2023.05 資料館 撮影:じっさま)







漬け丼

1年をとおしてイカ漁が盛んな隠岐では、
スルメイカのことをシマメとよび、肝醤油
で漬け込んだイカが名物料理の一つ。漬け
丼を昼食でいただいたが、じっさまとして
は、特別に美味いとは思いませんでした(
すいません!)。初夏から晩秋にかけて捕
れるケンサキイカは白イカと呼ばれる。
(2023.05 漬け丼 撮影:じっさま)







モーモードーム

約800年前、隠岐に配流になった後鳥羽
上皇をお慰めするために島の人々が始めた
のが起源とされる、伝統文化である牛突き
を「観光牛突き」として、隠岐モーモード
ームで観戦できました。観光牛突きでは、
勝負を付けることが許されておらず、引き
分けで行われます。
(2023.05 牛突き 撮影:じっさま)







牛突き

大きな牛は体重が1トンを超えるものも、
そんな牛がぶつかり合うのは迫力満点です
ね。頭をあわせた牛の目が印象的でした。
年に3回行われる本場所大会における勝負
は、一方の牛が逃げ出すまで続き、時には
1時間以上続く大熱戦もあるそうです。
観光用は引き分けで15分くらい??
(2023.05 牛突き 撮影:じっさま)







後醍醐天皇

隠岐国分寺跡は後醍醐天皇の行在所と伝え
られている。現在の寺の後方に礎石が見ら
れるが、明治時代の廃仏毀釈前の本堂跡と
のこと。境内からは奈良時代の瓦が見つか
っているが、創建時の様子は不明。左画像
は、国分寺跡に建てられている「後醍醐天
皇行在所阯」の石碑です。
(2023.05 行在所阯 撮影:じっさま)







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じっさまの館

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